大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和61年(ワ)10119号 判決

原告 和地美枝子

右訴訟代理人弁護士 高村民昭

被告 鈴木理介

右訴訟代理人弁護士 御器谷修

主文

一  被告は原告に対し原告から金七〇〇万円の支払を受けるのと引換えに別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し原告から金二〇〇万円の支払を受けるのと引換えに別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)はもと訴外上田利政の所有であったところ、右上田は昭和一四年三月頃本件建物を被告の父鈴木政吉に賃貸していた。その後原告の母和地キヨ子が本件建物を買い受け、次いで昭和三八年キヨ子の死亡により原告が相続によって賃貸人の地位を承継するとともに、被告も昭和四五年頃鈴木政吉の死亡により賃借人の地位を承継した。そして、昭和六一年一月三一日当時原告、被告間の本件建物賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)は賃料一か月金六九一四円、期間の定めのないものとなっていた。

2  原告は被告に対し、昭和六一年一月三一日付け同年二月五日被告に到達した書面により本件賃貸借契約を右書面到達後六か月を経過した時点で解約する旨申し入れた。

3  右解約申入れには次のとおり正当事由が存在する。

(一) 本件建物は大正年代の終り頃築造されたもので、土台、外壁とも朽廃し屋根はトタン葺で雨漏りがし、柱は傾き、本件建物と同棟の東南側一戸も朽廃しているためこれを取り毀すか改築する必要があるが、本件建物と構造上一体となっているためこれを取り毀すと本件建物が倒壊する危険があるほどであり、本件建物は全体として朽廃しているか、少なくとも朽廃直前の状態にある。

(二) 本件建物の修理は物理的には不可能でないにしても、それには新築以上の費用を要するため、建替えの必要が大きい。

(三) 原告は本件建物の南東公道側に二階建建物を所有し、一階の一部を雑貨小売の店舗として原告、原告の妹及びその長男と共に居住しているが、近くにスーパーマーケットができたため経営不振に陥っており、これに対抗するためには店舗、倉庫等を拡張する必要がある。また右営業の後継者に予定している妹の長男は近く結婚の必要があるが現在の建物では手狭である。そこで原告としては公道側の建物の一階全部を店舗として拡張するとともに、本件建物を含む一棟二戸建を取り毀してその敷地に妹の長男の新居及び店舗拡張に伴う商品倉庫用の建物を築造する必要に迫られている。

(四) 他方、被告の家族は被告夫婦と養子の三人であるが、被告の妻と養子は被告の妻の妹が保有する目黒区のアパートに居住しているから本件建物に常時居住しているのは被告一人であり、被告は今日に至るまでその気になれば他に住居を保有して転居できたはずであるのに、建物明渡料を欲して転居の努力をしなかった。

(五) 原告は本件解約の正当事由の補完として被告に対し立退料を支払う用意があるが、その額としては、右(一)ないし(四)の事情のほか本件建物の賃料が永年一か月六九一四円の低廉な額にとどめられていたことからすれば、金二〇〇万円で十分である。

4  よって、被告は原告に対し本件賃貸借契約の終了に基づき金二〇〇万円の立退料の支払と引換えに本件建物を明け渡すことを求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1、2の各事実は認める。

2  請求原因3のうち、(一)の本件建物の築造年代、(三)の前段の原告の営業及び家族構成、(四)の被告の家族構成については認めるが、その余の事実及び原告の解約申入れに正当事由がある旨の主張は争う。

(一) 本件建物は、経年により屋根等に若干の腐蝕があり強い風雨の際若干雨漏りがすることはあるがその損傷は長年原告が賃貸人としての修繕義務を尽さなかったことによるものである。しかし、本件建物は土台、構造部分は頑丈にできており、今後の使用継続に支障はない。

(二) 本件建物は被告の父の代以来五〇年間近く賃借し、現在被告夫婦及び長男が居住を継続しており、被告の退職後家計に余裕のない被告家族の生活の本拠として本件建物に居住する必要性は大きい。被告はかねて公団住宅等への入居申込みをしているが当選できないでいる。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

一  請求原因3の解約申し入れの正当事由の存否について判断する。

1  本件建物が大正年代の末頃築造されたことは当事者間に争いがないところ、《証拠省略》によれば、本件建物は昭和三〇年代の初め頃被告側で土台の一部、台所付近を修理したほかは永年修理もせずに経過し、現在では屋根、外壁、土台、柱に腐朽、破損箇所が見られ、一部基礎が沈下し、基礎高のない部分が見られ、建物が倒壊する具体的危険こそないものの特に波形鉄板葺の屋根は耐用年数の限界にきており、近年被告において室内天井にビニール張りをして強い風雨の際の雨漏りをしのいでいるが、野地板、垂木の補修を含めて屋根の早期全面的葺替えを必要としているほか、外壁の全面的貼替え、一部柱の根継ぎ、一部土台、基礎、敷居の入替え、天井の貼替え、根太の補修等の大修繕を必要とし、現在朽廃に至っているとはいえないにしてもほぼ五年前後で朽廃に至る状況にあること、そして、本件建物に必要とする大修繕は、その費用と修繕後の建物の効用などを比較考慮すると、これを施すことは現実的でなく建て替えるほかはない段階に至っていることが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

2  原告の自己使用の必要性

原告が本件建物南東公道側に二階建建物を所有しその一階を雑貨小売の店舗として使用して、原告、原告の妹及びその長男と共に居住していることは当事者間に争いがなく、右事実と《証拠省略》によれば、原告は妹スズ子及びその長男で三九歳の独身の健一と共に雑貨小売業を営んでいるが、近年近くにできたスーパーマーケットの影響などで営業不振であり、これを挽回するためには前記公道側の建物の間口を拡げ一階全部を店舗とし、別に商品倉庫を確保する必要があること、健一の結婚に備え住居を確保する必要があるところ、これらの必要を満たすためには本件建物を含む一棟二戸建の建物を取り毀し、その跡地に倉庫兼住居を建築する必要があり原告としてはなるべく早くそのようにしたいとの計画を持っていること、本件建物と同棟の東南側の一戸は現在老朽化著しく空家同然であるが、これを取り毀せば本件建物が倒壊するおそれがあるためそれもできないこと、以上の事実が認められ、この認定の妨げとなる証拠はない。

3  被告の本件建物の必要性

《証拠省略》によれば、被告は現在六四歳で父の代以来五〇年近くにわたり家族と共に本件建物に居住し、現在は妻及び二二歳の息子の三人家族で本件建物に居住していること(被告の家族構成については当事者間に争いがない。)、被告は一〇年ほど前に会社を退職した後は年金と飲食店関係等の集配の仕事にパートで再就職して得る収入により夫婦の生活を支えていること、被告としてもこれまで都営住宅、公団住宅等の入居申込みをしたが当選せず、民間アパートも収入からして入居は容易でないこと、そのため、現在原告からの立退料の額によっては立退の意向があるものの約二〇年の長きにわたり低廉な家賃のまま据え置かれている本件賃貸借契約を無条件で直ちに終了させられることは、住居の確保の上で困難な状況にあること、以上の事実が認められ、この認定の妨げとなる証拠はない。

4  立退料の額

前記1ないし3の認定事実によれば、本件建物が朽廃に近づきつつあり原告には建て替えの上有効利用を図る必要が一応認められるとはいえ、被告においても年齢、収入状況等からして直ちに無条件で明渡しに応じることは困難な状況にあるというのであるから、原告が自認している立退料提供の額が相当である場合にはこれを補強条件として原告の解約申入れに正当事由があるというべきである。

そこで立退料の額について判断する。

《証拠省略》によれば、原告は前記店舗兼居宅に隣接して公道に面する独立の二階建建物を訴外堤こう外一名に賃貸していたところ、昭和六〇年一二月同人らとの賃貸借契約を合意解除の上、立退料三〇〇万円、明渡猶予期間約一〇か月とする裁判上の和解が成立したことから、本件についても被告に対する立退料は金三〇〇万円程度にとどめたい意向を有しているが、他面相当額の範囲の立退料を提供する意向は有しているものと推認できる。

ところで、鑑定人田口浩の鑑定の結果によれば、同鑑定においてはいわゆる差額家賃に基づく収益減価の方式による試算及びいわゆる割合方式に基づく借家権価格の試算を行い、その際本件建物の敷地と見るべき三六・二三平方メートル(建ぺい率から逆算)について更地価格を一平方メートル当たり二七〇万円等と評価した上、右両方式による試算のうち割合方式を重視して本件建物の借家権価格を金二八一〇万円と評価しており、一般論としてその手法及び判断の過程自体には特段の不合理な点は見出せない。しかしながら、借家権価格なるものは未だ借地権価格ほどには社会的に熟成した基準があるとはいえない上、仮にこれを客観的に把握できるとしても、個別具体的事情の下で判断されるべき正当事由の補強条件としての立退料の額が右借家権価格と通常同一ではあり得ないことも明らかである。右鑑定においては右割合方式における借地権割合を七五パーセント、借家権割合をその四〇パーセントとして評価している点は、本件建物及びその敷地の立地条件、賃貸借関係の経緯に照らしやや高過ぎるとの疑問があるほか、前記認定の本件建物の老朽度と残存耐用年数、賃料が長期間極めて低廉に据置かれてきたこと、被告においても立退に伴う出費と新しい住居確保のための負担増等経済的理由以外には老朽化著しい本件建物に執着する必然性はないこと等本件の一切の事情を勘案すれば、本件において解約申入れの正当事由を補強するに相当な立退料の額は鑑定人田口浩の鑑定の結果による借家権価格金二八一〇万円の約四分の一にあたる金七〇〇万円をもって相当とし、前認定のとおり原告にはその提供の意思があるものと推認される。

5  したがって、原告が補強条件として金七〇〇万円を提供する限り、本件解約申入れには正当事由が存在するというべきである。

三  よって、原告の本訴請求は被告に対し金七〇〇万円を支払うのと引換えに本件建物の明渡しを求める限度で理由があるから認容し、立退料について原告の提供申出額が下回る点でその余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を適用し、なお仮執行の宣言については相当でないものと認めて申立を却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 荒井史男)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例